富山空港からぶらり旅・能登と砺波(2026年5月)

1日目:

富山空港で3人となり能登へ向かう。能登には妻の父方、母方両方のルーツがある。今でも親族が住んでおり、歴代の墓もある。また、偶然にも娘の夫の実家が能登であった。私にとって、妻との結婚をきっかけにして、能登は非常に縁の深い土地になっていき、何度か訪ねてもいた。

2年前の正月には能登半島の地震が発生し、能登に帰省していた娘一家も危ういところであった。さらに、その秋には大雨が能登を襲った。能登に関する報道を追いながら、どうして能登ばかりがという言葉に、心が痛んだ。震災後の能登を訪ねることは宿題のように感じていた。そして、年齢的に運転免許証の返上を考えるようになり、返上前に能登を訪ねると決めたのが、今回の旅であった。

富山空港を出て七尾湾に沿って能登に向かい、夕刻フラットに着いた。震災後、輪島市内のホテルや和倉温泉を始め多くの宿泊施設は受け付けを停止していた。その中で見つけたのが能登町の民宿・フラットであった。地元に根付いた宿の様子や、女将(おかみ)さんの地元への思い、オーストラリア出身シェフの能登イタリアンの食事などにひかれて予約したが、NHKの「小雪と発酵おばあちゃん」という番組を見ているとフラットの女将さんとシェフが出ていて驚いた。娘の義母(おかあ)さんに聞くと、フラットは芸能人が宿泊するなど地元では有名だということであった。

国道249号からちょっと外れて坂をあがると、こんなところに民宿があるのだろうかというところに駐車スペースがあり、大きなのれんのフラットの入り口があった。大人の隠れ家のような雰囲気の門である。石畳を歩いて宿の玄関に入る。陽気でよくしゃべる、気さくな方が女将さんであった。案内された部屋は宿の一室というよりは、古民家の奥まった独立した空間という趣であった。ゆったりとした作りで、窓のすぐそばにヤマボウシの花が満開であった。これだけで十分素敵な部屋である。庭が見える檜風呂に入ってくつろいだ。

夕食は能登イタリアンで、女将さんの夫であるシェフのコース料理である。肉はなくすべて魚介と野菜であり、味付けもこの地域の魚醤である「いしり」や「ゆうなんば」を多用している。過去に食べたイタリアンのイメージとは重ならない。魚介類はその日の地元の漁港にあがるものとのことだが、スズキなど食べた瞬間に素材そのもののおいしさを感じる。オーストラリア産の白ワインで食事を楽しみ、最後にシェフから「能登」イタリアンの話をきいて記念撮影し、宿で夕食というより素敵なレストランでの夕食であった。

2日目:

朝食は女将さんの能登の純和食であった。自家製の発酵食品が並ぶ。3年もののこんかイワシ、能登の豆腐に自家製なんば、各種漬物、湯気の立つたっぷりのあら汁、ご飯にいしりを混ぜたお団子を炭火焼きした海餅(かいべ)など、一般的な朝食とは全く違う。贅沢な食事の宿はいくらでもあるだろうが、昨夜の夕食といい、こんな個性にあふれた 食事の宿は多くはないだろう。

能登の朝食

朝食のテーブルから庭の奥に富山湾が見え、目をこらさないとわからないくらいであるが、その向こうに立山の山々が望まれる。夏場は見える日は少ないということで幸運であった。自家製の「いしり」と宿のご夫婦の著書「いしりと能登暮らし」という本を求め、帰宅後も楽しんでいる。

宿を出て、娘の義母さんが暮らす仮設住宅を訪ねる。古いが大きな母屋は地震で崩壊してしまった。その時の話を聞くと、娘夫婦と孫たちを含め、お正月で集まっていた人たちに誰ひとり怪我がなかったのは奇跡に近いように感じられる。また、地震のさい、テーブルの下に入るというのは大切な防御だとあらためて知った。義母さんは、母屋に隣接する残った建物や家の敷地、お墓を管理し、姉妹での旅行、息子と孫たち宅への訪問、近所の方々との付き合いを楽しんでいるようすで、うれしくなる。フラットから来る途中で看板を見た柳田温泉の話をすると、疲れがとれる温泉だということで、日本一の泉質だと言った温泉評論家もいるという。行きたい気持ちがわいてくる。

おいとまして輪島市内に向かう。249号を通るが以前通った道とはかなり印象が違う。海岸まで下ったり、明らかに付け替えの最中であったり、まだ道路は復興途上であることを実感した。建物を見てもあまり気づかなかったが、道路に関しては手が回らない状況をあちこちで見た。白米千枚田の道の駅は営業していたが、千枚田を見下ろすと、崩壊したり形がゆがんだ田も多く、以前見た美しさは損なわれていた。

輪島朝市の復興は遅れていると聞いていたが、さすがに地震で倒れ火災で消失した跡地には建物も建ち始めていた。ニュースの映像で見た廃墟という印象ではなかったが、早い復興をお祈りするばかりである。旧輪島駅が道の駅になっているが、今ひとつ元気がないように感じてしまった。キリコ会館も休業中らしく、これ以上見て回る気にはならず、妻のルーツがある三井や穴水を訪ねて現在の状況を確かめてから、今日の宿・真脇ポーレポーレに向かった。

途中で柳田温泉の近くを通る。日本一の泉質が気になる。営業時間を調べると今なら寄ることができるが、明日の朝は無理だ。私も温泉好きだが、この温泉に関しては息子の執着が強く寄ることにした。アルカリ泉で肌に優しい温泉だったが日本一というのはどうか。

今夜の宿泊は真脇遺跡縄文館のそばにある宿泊施設・真脇ポーレポーレである。竪穴式住居をイメージしたという外観がおもしろい。普通の公営温泉という趣だが、能登の食材を使っているという食事はおいしかった。特に 夕食のボリュームがすごかった。能登牛のステーキも量が多く、高齢夫婦ではとても食べきれない。息子が一緒で助かった。

真脇ポーレポーレの正面

3日目:

真脇遺跡縄文館に行ってみる。縄文時代5500年の地層がきれいに重なって残り、人々の生活が刻まれていることに驚く。発掘品の年代を正確に決定できる貴重な遺跡であるとの説明を聞いた。

能登で最後に行きたいところは珠洲市である。地震前、娘の義父母に案内してもらって狼煙の灯台を訪れ、珠洲焼を展示するお店に寄り、見附島(軍艦島)を見たことを思い出す。珠洲は地震後の報道も頻繁になされ、復興のシンボルでもあったと思う。市内に入ると、街があっさりしてしまったような気がする。前回見たときはもっと緑も多く趣のある街並みだったような気がするが、やはり地震と大雨からの復興を経験した姿なのだろうか。

NHKの「ドキュメント72時間」の舞台となった銭湯・「海浜あみだ湯」を見に行く。震災の1週間後から地下水をくみ上げて、被災した建物から出た廃材でお湯を沸かし、被災者やボランティアの人々に提供した銭湯である。番組は銭湯に集まる人々の素顔を写して話題となり、私も見て静かな感銘を受けた。

この銭湯は最近別の面から話題となった。能登を舞台とするドラマ「ラジオスター」に海が見える銭湯が出てきて、銭湯の名前は「すずの湯」である。私はすぐ「ドキュメント72時間」の「海浜あみだ湯」がロケ地だと思った。銭湯に行って見ると、お湯を沸かすのに使用する木材が積まれており、入り口に「すずの湯」というプレートが置かれていた。

道の駅「すずなり」へ行くと、日曜のせいもあり、たくさんの人が訪れ、買い物をして元気であった。うれしい気持ちになり、私も珠洲の海産物などを買う。見附島へ向かう。地震のあと形も変わってしまったと聞いていたが、確かに以前見たようなきれいな軍艦の形ではなく側面が崩れていた。

見附島(軍艦島)

珠洲を見て、今回能登でしたかったことはほぼ終えた。息子が残った時間で五箇山へ行くことを選んだので、能登はここまでにして珠洲道路に入り、能登里山空港へ行く。道の駅もあるが空港に併設された売店という感じだ。朝と夕の羽田往復だけのようだが、能登半島の中心にあるから奥能登にとっては便利だろう。駐車場は満杯に近かった。石川県出身のお相撲さんのパネルが目を引く。

空港を出て能登里山海道に入り南下する。以前能登里山海道を走ったときは快適な道路だったが様相は全く違っていた。能登を貫く幹線道路のはずなのに、いまだに地震かあるいは豪雨の影響が残り、交互通行だったり崩壊箇所を直していたりする。災害の爪痕をそのまま残しているのは、まだ復興途上をいうことで衝撃であった。やっと災害の影響を感じなくなったのは、七尾が近づき能越自動車道に入ったあたりからであった。

能越自動車道から東海北陸自動車道に入り、五箇山の世界遺産・菅沼合掌集落に到着。小さな集落だが、白川郷のように観光客があふれかえるわけでもなく、昔からの静かな時間の流れに浸れるような空間が好きだ。五平餅やとち餅のぜんざいなどを楽しむ。

続いて、同じく世界遺産・相倉合掌集落を訪ねる。ここも落ち着いた雰囲気の合掌集落である。集落の中ももちろんいいが、集落から少し上がったところからの眺めが背後の山にとけこんで実にいい。前回来たときは、畑の中の道をたどってビュースポットへ行ったが、今回は別の道が整備されていた。これも時代の流れか。

二つの集落を楽しんで、国道304号を一気に富山平野に下り砺波駅前のホテルに向かった。夕食はホテルの前の居酒屋に行く。富山湾の魚が刺身、煮物、焼き物と豊富で清酒立山をお供に楽しんだ。

4日目:

最終日である、昼前に富山空港でレンタカーを返すだけでよい。砺波から近い井波へ行き、前回強い印象を受けた彫刻美術館を訪ねる。年齢のせいなのだろうか、値札のついた展示が多くなったせいなのだろうか、前回ほどのインパクトは感じなかった。妻は井波の彫刻のおひな様・豆びなを買う。井波には北陸における浄土真宗の拠点である瑞泉寺があるが、ここにも修学旅行生がたくさん来ていた。

井波を出て息子の気の向くままに南砺市を見て回る。南砺市は井波、福光、城端などいくつかの町村が合併して形成された。息子が言うには、この地域は背の高い屋敷林に囲まれた民家が農地の中に点在して、散居村とよばれる日本の代表的な農村集落であるらしい。ひととおり南砺市を見て富山空港に戻りレンタカーを返して旅を終えた。

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